親なんて生きてても死んでも同じ

親も高齢になり親の死がわりと近い未来にやってくるのだろうと覚悟をするようになってきた。

親が死ぬ。

その日が来たら、どんなに悲しい気持ちになるだろうと、漠然と不安に駆られることがあった。
なぜ不安なのだろうか。モヤモヤを抱えながら生きるのは精神衛生上よくない。
親が死んだらどうなる? を考えてみることにした。

私は一人暮らしをしている。
実家に帰るのは数年に一度、連絡するのも数カ月に一度程度。
特に親との関係が悪いというわけではないが良いわけでもない。
金銭的に何か援助を受けているわけでも、しているわけでもなく、普段は何のやりとりもない。

こんな状態であるから、親がいなくなったところで特段普段の生活に何か支障があるわけでもない。

じゃあ何に怯えていたのか?
親という存在はなんなのか?

親は私にとって何か困ったことがあれば助けてくれるありがたい存在である。
例えば無一文になったとしても、実家に帰ればご飯を食べさせてもらえるだろう。
病気をして入院したとしたら、着替えを持ってきてくれるだろう。

だけど、そうしたことは親でなくても代替可能だ。
無一文になったって生活保護を受給すればなんとか生きていけるだろうし、病気をしたってお金を払えば病院内で着替えを買うことができる。

そう考えると、私にとって親という存在の最も大きな部分は精神的なものであると思う。
私は一人ではない、何があっても絶対に助けてくれる人がいるという安心感だ。
これは親以外ではなかなか代わりがきかない。
友人だってある程度は助けてくれると思うが、本当にギリギリでキツい時はやっぱり頼れないだろうなと思う。

いわば心の保険。
何かあっても大丈夫、頼れる人がいる、という安心感が私にとっての親の最大のありがたポイントなんである。

じゃあ、その保険がなくなったらどうなるのか?
安心感が消えてしまうのか?

考えてみるとそうでもないだろうなと思う。
例えば親がいなくなっても、自分にかつてそうした存在である人がいたというだけで心強く、それを心の拠り所として生きていけるような気がするのだ。

心の保険と言ったが、それよりも象徴というか偶像というか、なんていえばいいのか分からないけども、神様とか仏様とかそういった存在に近いかもしれない。
自分が主人公のストーリーがある中で、私と言う存在を創造し、自分を犠牲にして育ててくれたありがたい存在である。

だからもし親が死んでも、親というありがたい存在がいたという事実が変わることはないし、自分を育ててくれた人がいるという安心感が消えるわけではない。

と気が付いた時に、親が死ぬことについて、そんなに恐れる必要はないかもしれないと気が付いた。

行動の変化としては数カ月に一度の連絡と数年に一度の帰省がなくなるだけ。
そして心の変化としても、体という物体はなくなるけども、その存在自体が変わることはないのだから。

まあ今実際親が元気に暮らしているから、実際に亡くなった時にどう思うかというのは分からない。
ただ、親が死ぬ前から想像してむやみに恐れたり不安になったりする必要がないと思えたことは、自分にとって良いことだった。

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