弱者おじさんは割と詰んでいる件

40~60代のおじさんって
今の日本ではなかなか
ハードモードなのではと
思い始めている。

「強く、能動的であるべき」
みたいな男性らしいとされる
枠組みから外れた場合
割と詰んでしまうのでは?
と思った出来事があったので
記しておく。

女性だから助ける?

先日マックの前で
自転車をおして歩いている
外国人の若い女性に
「駐輪場はありますか?」と聞かれた。


パッと見たところ見当たらなかったので
ないですね~困りましたねと言っていたら
ハンバーガーが一つほしいので
お金を渡すから買ってきてくれないかと。

いいですよ、と快諾したところで
駐輪場が見つかったので
結局買いに行かずに終わった。

その人と別れてから
「ハンバーガー一つだけってお金に余裕がないのか?」
「何か困っている人だったのかも」
「もっと話を聞いてあげればよかった」
「むしろおごってあげればよかった」
と後悔の念が沸いた。

しかしそこでふと思ったことは、
たまたまその人が
若い、女性、外国人
という見た目だったから
助けたいと思ったのか? ということ。

もし声をかけてきた人が
中年の男性だったら。
私は同じように思ったか?
そう考えると自信がなくなってしまった。

弱いおじさんもいる

無意識のうちに
私は見た目で人を判断している。
そして女性は助けるべき、
反対に言えば男性は強くあるべき
という思い込みがあることに気が付いた。

男性だって弱い人はいるだろう。
そしてこうした世間的な思い込みから
弱さを訴えられない場合も多いかもしれない。

そして訴えたところで
男性だからと拒否される
またはスルーされるということも
あるのではないだろうか。

男性だからバリバリ仕事をするべき
男性だから恋愛に能動的であるべき
男性だから弱音を吐かず強くあるべき

男性だって仕事に向いていなくて
パートタイムでゆっくり働きたい人も
もちろんいるだろう。
または気が弱くて自分から行動を起こせず
結婚できない人もいるだろう。

こうした男性の場合
例えば低賃金で暮らしていけない
と訴えたところで
「男性なんだしもっと仕事しろよ。自己責任」
で終わってしまう可能性がある。

同じ立場の女性の場合は
女友だちやコミュニティがある場合が多いので
そこで感情を共有し発散することもできるが、
男性の場合は一人孤立して
ますます孤独に陥ってしまうという
ケースも少なくないだろう。

こういった場合、
その人が周囲に助けを求めることもなく
周囲からも問題が把握できないので
「ない」ものとなり可視化されない。

そう考えると、
実はこういった弱者おじさんって
割と詰んでいるとともに
潜在的にすごく多いかもしれない。

強い人間はその弱さも乗り越えて
努力しているのだから
弱者おじさんだって自己責任だろと
言ったらそうかもしれないけど、
その人の生まれ持った性質や環境が
現代の価値観にフィットしないからといって
切り捨てられてしまうのは
あまりにも酷なのではないか。

弱者おじさんの生きる道

じゃあもし弱者おじさんになった場合
どうしたらいいのか?
と考えたとところ、
弱くたって、ダメだって
こうして生きている
と開き直ることだと思う。

コロナ前は私は旅行が好きだったので
海外によく行っていたのですが、
どの国でも昼間からなにもしないで
道端でぼーっとしてるおじさんが
たくさんいて誰も気にしていない。
そういう感じで
「だからどうした」という
開き直りが必要なのかもしれない。

まずは自分から存在をアピールすることが
弱者おじさんの市民権の獲得には欠かせない。

そしてだんだんと弱者おじさんが認知されるのと同時に
「おじさんだって大変だ、助け合おう」
という認識が生まれてくるのではないか。

弱者おじさんが
おそらく今の日本では一番生きづらさを
感じていると思うが、
それを逆転できるのも
弱者おじさんにかかっているのだ。
立ち上がれ、おじさん。

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